私ごと

自分の観点を言語化しておくブログ

規模の経済、権力、工学

丹羽先生の技術経営論P176に、以下の一節があります。

「工学分野の計画の特徴は、目的が明確であることにある。(中略)じつは、それ以上に、目的の設定が困難ということにある。人間のそれぞれの価値観によって目指すべき目的が異なることが多いからである。」

 

技術経営論

技術経営論

 

 

目的が明確である場合、最適解を得ることが可能です。遺伝的アルゴリズムや勾配法など、最適化アルゴリズムは多々ありますが、指標化可能であれば最適化可能です。逆に、指標化することこそ、「エンジニアリングセンス」ともいえます。

 

最適デザインの概念

最適デザインの概念

 

 

この時、最適解を得るためには、情報を出来るだけ多く収集し、最適化指標を決定し、それに向けて最適化することになります。

これこそ、計画です。目的を明確にするためには、少人数の情報処理能力の高い精鋭が計画を立て、それによって、セットされた目的から手段を導出し、その手段が新しい目的となり、またそのための手段を導出し・・・となっていきます。

小幡先生の経済原論にもそのような記述があります。

 

経済原論―基礎と演習

経済原論―基礎と演習

 

 

さて、これがピラミッド型組織であり、上下関係であり、下請け、孫請けと生産関係が分割されていくことの原型でもあります。

このようなフレームで世界を見た場合、以下の2点がキーポイントになります。

1、より正確な計画を立てること。

2、より実行可能なために、出来るだけ多くの人を動員すること。

よって、ピラミッド型の組織が出来上がってきます。そして、それは規模が大きいほど有利になります。1,2の性質のほかに、インフラ整備の固定費負担とインフラ利用の共同性によって、出てきます。

これが、規模の経済です。

ようするに、エンジニアリング的観点から見れば、ピラミッド構造が所与であり、規模の経済によって上下関係が安定的に存在することになるのです。

(もう少し論理的に詰めたいところ。)

そのうち、ソフトシステムの経済についても書きます。

箸と価値

今日、買い物に行った時に、箸が羅列してあるのを見て、思い出したことがありました。

昔、金沢へ行ったとき、輪島塗の箸つくり体験をし、その時に職人さんが「中国製のものが増えてきているが、こういう長持ちしていいものを使った方がいい」と言っていました。

私は、その箸をいまでも使っています。一本では心もとないので、100円ショップで買った箸もあります。それでも主力はその輪島塗の箸です。

その理由は、清潔感とそれが長持ちする点です。

ここで、箸に期待するものが以下であることがわかります。

1、箸としてつかえること。

2、清潔感があるように見えること。

3、よいデザインであること。

4、それらが長持ちすること。

さて、輪島塗の箸は大体500円ぐらいだったと思います。これを10年使ったとします。

一方、100円ショップの端は1年程度でカビが生えて使えなくなったとします。

すると、10年単位では、輪島塗の箸の方が安くなります。しかも、”高品質”のものがつかえます。

この時、”長く使えるいいもの”が生き残る環境ができます。これは、消費者がこれを理解していることと、”良いデザイン”が頻繁なモデルチェンジに合わないことが条件になります。

ここで、モデルチェンジが頻発するものを考えます。例えばパソコンです。パソコンは、”長く使えるいいもの”がありません。すぐに性能が向上するからです。それもあって”モデルチェンジ”が頻発します。

他の例では、”ファッション”があります。これに関しては、私の知識不足で何も書けませんが、”流行りものの服”は長く使えません。勿論、服は流行りものだけではありませんので、すべての服がこれに該当するわけではないです。

ここまで、考察したことは、消費に対して、以下3点の区分を提示します。

1、長く使え、結果的に安くなるような消費

2、短くしか使えなく、結果的に高くなるような消費

3、短く使った方がよい消費

また、多くの人には関係ないですが、高い消費もあります。

3はテクノロジー商品に見られる傾向です。

1,2は”技術開発の文脈”でいうところのコモディティー商品に見られる傾向です。

というわけで結論ですが、

コモディティー商品は高品質長持ち型と低品質短命型に大きく分類できます。勿論高品質短命もそれを所望するひとがいればありえますが、数は少ないでしょう。また、高品質長持ち型は伝統品になる傾向があります。もちろん伝統品には”社会的評価=ブランド”という価値が付随することでより強力になります。

・テクノロジー進歩の影響を受ける商品は”モデルチェンジ商品”です。高品質短命型になります。また、消費モデルがファッションと類似するため、性能以外の面では、”ファッション”と同様の傾向がみられます。iphoneスマホはそのような消費でしょう。車もそのような傾向が認められます。しかし、性能型ユーザーはファッションを見ない傾向があり、ファッション型ユーザーは性能を見ない傾向があります。(統合型は両方見ます。)そのため、性能向上、外見のモデルチェンジは片方のユーザー群にしか響かない傾向でます。

責任者がいることはよくないのである。

責任者がいることが問題で、責任者がいると、その人に意思決定権が付与されるから、判断する人が存在する。そうすると、責任者に付随する人たちは自ら判断することをやめる。と同時にこの意思決定権が権力となってしまい、意思決定権の取り合いになって、政治闘争になる。するとコストがかかると同時にモチベーションの低下を引き起こすため、チームに個性も出なくなるし、仕事の効率も下がる。そして、多様性は殺されて、問題解決能力は低下する。よって、責任者が存在することは問題となるのです。

 

責任という概念は、期待の裏返しで、期待通りいかなかった場合の”損害賠償”の概念である。また、責任者を付けるということは、不信の表れである。つまり、予め損害賠償を取らせることを目的としている。勿論、責任は必要で、それはチームに付与されるのがよいと思われる。

 

以下の書籍の2章にはその実践が書いてある。

 

 

社会人になってからわかったこと・思索すべきと思ったこと(備忘録)

分かったこと

全部名目の話。

仕事は頼まれごと。

意思決定権が権力を作る。

意思決定権と計画は結びついている。

責任者が権力と意思決定権を作る。

意思決定権の取り合いが政治。

ピラミッド型組織は、人間の情報処理の能力や身体的限界から作られた構造。

金は人的資源の利用可能度を表す。

お金で買えるのは、非内発的協力。

非内発的協力は生産性が低い。

資源制約とニーズの共通性が中央集権構造を作った。

これらがなくなった現代では中央集権構造は機能しない。

責任は任せた人の意図通りいかないこと。それに対して資源を無駄にしたこと。

無駄とは意図通りになっていないこと。

意図は計画をつくる。

計画は予測可能なものに対してのみ作成可能。

価格は自分が思う価値である。

自己承認欲求は、自分の思う役割を果たすこと。

情報に資源制約は近似的にない。

エゴとは身体的危機から発生する概念。

法則とは、対象固有の性質から発生する限界。

一方、対象固有の性質も本来は可変。

思索事項

ルールに権力は必要か?(構造的に生じる法則のみ守ればいい)

不信の度合いがルールの数を決める?

すべてはつながっている

伊藤譲一はTedの動画で「技術開発の在り方が変わった」といいました。


Joi Ito: Want to innovate? Become a "now-ist ...

そして、今新しい組織パターンが出現してきています。

 

 

これは、多分イノベーションにも技術開発の在り方にもつながっており、人の幸福にもつながっています。

 

技術経営論

技術経営論

 

 

ぼくは、この変化を助長してくれるのが人工知能だと考えています。だからこそ、今「ホワイトカラー」と呼ばれている職業は不要であり、そこに属している人は別のことをしたほうがいいと思うのです。

 

そして、原始的組織構造である、官僚機構はそこで働く人や社会に対して、旧時代の組織運営を押し付けるため、その認識を強要する点で悪であり、そこに権力を持たせないためには、税金は下げる方がよいのです。勿論、それは国民の意識に依存しますが。

 

 

 

お金の役割(考察中)

貨幣論では、以下の3点にお金の役割があるといわれています。

・価値の尺度

・価値の貯蔵

・交換の手段

さて、カール・ポランニーは確かこんなことを言っていました。

・価値の尺度という役割は貿易から出てきた。

・決済の手段として初期の貨幣は誕生した。これは穀物であることが多い。

・交換の手段は、貨幣が量化可能であることから生じる

(経済の文明史3章の貨幣使用の意味論より筆者解釈)

一方で、貨幣は資源配分手段として存在している。

しかし、飢餓の問題がない場合の資源制約とは何だろうか。それは、計算量の割り当てである。今は、人のみであるが、計算機も含めて考える必要がある。そしてそれは所有権と絡み合っている。

価値の貯蔵という側面は、中央集権を可能にする。一方、中央集権にはトランザクションコストがかかり過ぎているのも否めない。

 

 

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,玉野井芳郎,石井溥,長尾史郎,平野健一郎,木畑洋一,吉沢英成
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  • 発売日: 2003/06
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責任という障害

人は、ある目的を達成しようとする際に、仕事を分割します。

この時、組織ができます。

分割した仕事は、誰かに任されます。

それは、分割者が測る信頼度によって分配されます。

(内容によって信頼度は変化します)

同時に、「意図通りに実行する」という責任が生じます。

しかし、意図通りにいかないということは多々存在します。

人間の思考はそこまでの情報量を扱えないからです。

その時、責任者という存在が必要になります。

これをものづくりのに当てはめます。

当然、上記のことはどのような社会でも存在するので、企業内でも存在します。

しかし、今回は企業外の話です。

この時、今製品を扱う運用者という人がいます。

しかし、運用者の大半の業務は人工知能の到来とともに自動化します。

一方、今度は人工知能の開発者に責任が付随します。それは、メーカーかもしれません。それは、IT会社かもしれません。パッケージによりけりでしょう。

しかし、これでは人工知能の開発は促進されません。

これをどうするかが問題です。

基本的には、オートパイロットも自動運転も同じ問題に当たります。

保険が解決するのでしょうか。費用便益が解決するのでしょうか。

日本人は費用便益では納得しないというのが現場感覚のようです。