私ごと

自分の観点を言語化しておくブログ

アジャイルと非アジャイル

アジャイルは、基本的に実行によって不確実性を低下させるとともに、計画を細かく行うものである。

 

しかし、アジャイルでいわれるプラクティスの多くは、失敗したら被害が大きいものには使えないといわれている。重工業、インフラ系はそういったことの代表と言われている。また、制度設計なんかもそういうことだろう。下記のように、危機管理としてと言及されている。

【ぼくらの国会・第698回】ニュースの尻尾「移民反対」 - YouTube

 

今のところ、特にITエンジニアリングでアジャイルは、開発方向性であったり、フィードバックの対象がある程度決まっているという前提がある。

 

多くのものがソフトウェア化する昨今において、アジャイルの適用できる範囲は広がることは間違いないが、やってみてはいけないものもある。この境界を明らかにしてききたい。起業プロセスについて、もう少し深めることで、明確にしていきたい。

一区切りとこれから

博士課程を修了した。博士を経験したことは非常によかったと思う。いくつかの視点で得られたものを書いていきたいと思う。

 

  • 人に説明できるぐらいに言語化することは、研究者においても重要
    • 多くの論文において、新規性(何が新しいのか)やそれをどう成し遂げられたかを説明する必要があるから。 
    • 一切合切を隠蔽した「すごいもの」で許されるのは相当すごい時だけ。これは概ね、論文という形式がとらえることは少ないから。 
  • 研究者の社会的位置づけについて、よりはっきり自覚できるようになった。
    • (工学)研究者は国を主なスポンサーとした、提案事業に大きく貢献している。
      • 提案できるかどうかは、その人がやっていたことに起因する
    • 分業形態として、分野の目的を追い続けることは、技術発展として重要
      • 経済合理性を考える民間企業では採算が合わずにアクションできないから。
    • 逆に、民間企業がここから先は立ち入ってはいけないというラインがうっすら見え始めた(ただし、大企業研究所を除く)
  • 知識は、言語化することでより整理される。
    • 論文というフォーマットがある程度身についた。
    • 工学においては背景の真実味は「納得感」の範囲であり、そこを議論するものではない。
  • 研究としての成果に対して、どこまでのことが必要か勘所の片鱗が見えた
    • ゆえに、他分野の方々にも尊敬の念が深まったし、それを全部やることは不可能であるというあきらめがついた。

 

研究で自分が満足いく仕事をするには、年齢的に厳しいこともあるし、研究としてはほかの方々が大いに進展させるであろうことから、研究からは、ある程度撤退かなと思っている。

元々の思いである、組織と意思決定に自然言語処理を生かしていけるように、これらを生かしていきたい。

 

 

ジョブ型と少子化と家族構造と

きっかけはこのツイート。リプ欄にもあるように、家族構造と合わせてのべる話もあります。この説はあまり自分は持ち合わせていなかったので、考えを巡らせてみる。これらは、客観根拠に基づくものではなく、私の感想ですw。

さて、個人的にはジョブ型雇用の発端は、産業構造を変えられないという話から来ていると自分は認識しています。

カニズムの概要としては、以下と思われます。

  • 昨今目まぐるしく変化する市場に対して、会社が機動的に動く必要がある。
  • しかし、いわゆるメンバーシップ型は、メンバーを固定して職務を変動させる。
  • その結果、市場の変化への対応には異動をすることになる。
  • しかし、異動しても実際はスキル不足なので、スキルが十分なメンバが揃っている会社に勝てない。
  • グローバル化で競争相手が世界になったので、それが如実に現れた。

ということで、趣旨は労働力の調達を市場からしやすくしたいということになると考えられます。 そして、メンバーシップ型と強い補完関係にある、解雇規制、新卒一括採用が揶揄されたり、 解雇→再就職の疑似的な流れとしてのリスキリングなどが流行っていたりすると思われます。

これは、アメリカだけでなく、高福祉と言われるデンマークもそうなっているようであり、産業構造転換をするに必要という認識でした。

デンマーク労働市場の概要図(https://www.bbt757.com/business/article/article/20190118-191319/より引用)

そのため、広く一般的にジョブ型の方が良さそうというのが昨今の主流と考えています。

しかし、ツイートは「漏れている部分があり悪影響があるよ」と主張していると思われます。 その漏れた部分は、同一労働・同一賃金に移行すること(=職務集団での労働組合が結成されること≒正規・非正規の区分をやめる)という主張だと想像します。

おそらく、ツイートの主旨は同一労働・同一賃金ではないことが決定的であり、既存のメンバーシップに入れる人に富の集中が起こり賃金格差ができる +専門家集団の賃金が下がりスキルを身に付けても容易には賃金が上がらないので、「教育の社会移動機能は破綻」する。 また、同時に賃金格差により、新規結婚数または子を産む意欲がさらに減るため、少子化に拍車がかかる。 ゆえに、日本市場の消費者もさらに減り、多くの企業は縮小する市場に喘いでさらに賃金が下がるだろうという話と想像します。

あり得なくないシナリオと思いますが、流動性が問題だとするのであれば、メンバーシップ型もそこまで変わらないのではないだろうか。という疑問が湧きました。

また、少子化という点では、リプ欄にもあるように家族構造の影響も考えられます。権威主義的な家族制度を持つ社会では未だ少子化が進んでいるという話もあります。 business.nikkei.com

しかし、家族構造から見ても、記事で指摘されているドイツは、デンマーク型であると聞いたことがあります。(要確認) よって、家族構造という点においても、ジョブ型が問題になることはなさそうです。

「同一労働・同一賃金に移行すること」をどのように実行するかということを考えれば良いのではないかと思います。

なお、旧来は長期雇用が会社特有のスキルを習得する動機を生み出し、競争力に寄与しましたが、 ITでそれは崩れ去ったと思われます。家族構造による知識伝達ゆえの競争力は、以前、本ブログでもまとめました。 meshitahiro.hatenablog.com

権威主義的な家族制度の下、ITの出現以降の社会をどのように築くかは、また一つ大きなテーマかもしれません。 ただし、東京においてはかなり核家族が進んでいるのではないか?と生活実感として思い、家族構造を前提にして良いのかもまた、不明確です。

有識者?未来予測への反応

youtu.be

宮田先生の発言にちょっと引っかかったので、メモ。

  • Well-Beingを目指す!→これは、saas企業の隆盛の1つの潮流で説明可能なお話と感じた。医学部の先生っぽい。
  • データは奪い合わない。→ユーザの注意時間が律速なので、奪い合っていると思うが。。。医療系は事情が違うのか?
  • では、インフラ企業はどうするのか。→ほとんどの話が、2C向けなので、インフラ企業など(航空、鉄道、エネルギー、)はどうするのか疑問に思った。管理者が必然的にいるとおもれる。もちろん、JALがダイナミックプライシング導入していたりするので、データの活用は進むと思うが、文脈が同じなのだろうか。

機械学習の説明可能性が求められる要因のポエム

よく、機械学習には説明可能性が求められることを目の当たりにします。これがなぜなのか少し考えてみたいと思います。

個人的には以下2点にあるのではないかと思います。

1. モデルのロバストさ懸念が残るが、テストデータを用意できないorテストデータを把握していないので、人間が判断するしかなくなるから。

2. ソフトウェア全体で見た場合に、「できていない点」を明示することで、他のやり方で補ったり、オペレーションで補ったりしたいから。

 

 

1は本来、テストデータで懸念が残る点をテストすべき項目かと思いますが、データを用意するコストが高いため、人間でなんとかしようということから発生する要求かと思います。

2は機械学習が全てできるわけではないという前提にたった上で、起きることかと思います。また、オペレーションで補う部分は、おおよそのソフトウェアの導入には業務プロセスの改変が必要なことを考えると、補わない場合も必要な要素になってくると思います。

一方、機械学習における説明可能性は、必ずしも上記に結びついているとは言えないため、結局は業務プロセスとしてお話しできる人が必要になってくるような気がします。

ワールドカップに思う日本型マネジメント

ワールドカップ、日本代表なんとドイツとスペインを破ってベスト16!!すごいですね。想像だにしてなかったです。

巷で、騒がれている事の1つがチームビルディング、戦略決定の部分のマネジメントです。選手が各クラブの実践を持ち込んで、提案したと報道されていますね。

youtu.be

 

上記動画では、監督目線になりたがる選手という事で表現されています。一方、スペインなどでは、監督がガッチガチの戦略を持ってきて、それに合わせて選手が動くという方式だったようです。

これは、ティール的というか自律分散系組織のなせる技なのだと思います。逆に、自律分散組織を機能させるためには、個々人が色々吸収してくるというモチベーションの高さやプロフェッショナリティーがある程度必要なのでしょう。また、監督目線はまさに、論点思考で上の階級の立場に立ってものを見ることにもつながるかと思います。 

 

通常の会社組織だと他の難しさが付き纏います。W杯という明確な目標でもないため、この部分を自ら設定していく必要があるでしょう。人数も圧倒的に違います。

ただ、この熱狂に乗り、こういうことで、世界と戦っていけるのだという希望となり、この方式が1つの型として日本社会に浸透してくれると良いなと思う次第です。

 

自分の目標連鎖

最近の大学の授業で人生論をやたら求められていたのだが、そのお陰でなんとなく整理できたので、

 

最大多数の最大幸福みたいなことを追っていました。

人の幸せとは何か。それは、以下の動画がかなり代弁してくれているなーと思っており、何のために生きているかわかって生きることができていることだと思っています。

 

 

これを達成するには、目標を達成することだと思っています。目標は常に変わっていき、統合していくこととそれを達成していくことを通じて、何のために生きているかわかってくると思っています。

さて、世の中の発展は、これを取り除いてきたと考えています。つまり、農業生産力の向上は、生存確保の必要性を低減し、工業生産力の向上は、様々な生活の質をあげました。その結果、より個々人の目標を達成していく方が効率的であるような社会になってきたと思っています。(もちろん、負の側面もあり、そこまで高めないと価値が出ないと言う側面があり、それはある種ひどく残酷なことでもあるのかもしれませんが。)

現在において、上記のような環境に対して、特に日本では労働市場の問題が特に顕著ですが、これは法制度の問題で個人で解消するのは極めて困難だと感じております。そのため、自分のアプローチは今の所、エキスパート支援の検索です。需要がある程度あろうと言うことと、熟練者の権力の分散によって、自由度が上げうることを目的としています。(真に解決策なのかは、何ともと言うところですが。。。)

しかしながら、上記は資本主義市場と民主主義を前提にした社会なので、最近の中国のようにIT全体主義と言うものに対してどう考えるのかと言うことがあります。

これは、銀河英雄伝説のヤンの言葉が信念であると思っています。

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ヤン:人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。言い換えますと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムや、またそれより遙かに小物ながら、ヨブ・トリューニヒトなどを政権に就けたのは、確かに人民自身です、他人を責めようがありません。まさに肝心なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の失敗を他人のせいにできる、という点に尽きるのです。その罪の大きさに比べれば、百人の名君の善政の功も小さなものです。まして閣下、あなたのように聡明な君主の出現が極めて稀なものであることを思えば、功罪は明らかなように思えるのですが

```

https://note.com/cexistentialism/n/n6a4f4f0bf938

 

最後に、最近の自分の不満はおそらく、上記から導出される「多くの人の目標を達成できる状態」にアプローチできている気がしていないことがあるのかもしれません。あるいは、社内検索がだいたいペイしないと言う現状か。組織論だけでは太刀打ちできず、経営力であると思った先から、何を考えるのか。