マインドと社会

マインドと社会のインタラクションについて、科学技術や経済の変化を統合させながら考察します。

外来語の無謬性

言語は、意味が含意されており、歴史性を持ちます。

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例によって、西部ゼミナールの問題提起から出発しようと思います。

この講座ではdemocracyを民主主義と訳したため、普通のひとによくわからないようになっているという問題提起があります。西部いわく「demoは民衆であり、cracyが政治である」ため、「democracyは民衆政治」であり、民衆が賢ければ、よい政治になり、民衆が愚かであれば、悪い政治になるとのことです。

さて、日本にとっては、外来語はその概念にとって、歴史が浅いため、意味がはっきりとせず、実質的になにを指しているのかわからなくなります。こうなると、より「空気」で動く人々が出現しやすくなると思われます。

一方で、外来語が無謬であり、実質的に何を意味するかよくわからないからこそ、相手の感情を重視するコミュニケーションでは使いやすいのかもしれません。

しかし、これは歴史性の伝達に障害をもたらすとともに、同時に思考の時間軸を浅くしてしまう恐れがあります。