マインドと社会

マインドと社会のインタラクションについて、科学技術や経済の変化を統合させながら考察します。

評判システムと私有財産制

私たちは、私有財産制社会の基に暮らしています。

これは、市場経済の基本と言われています。(市場経済 - Wikipedia

ここでは、私有財産と評判システムについて検討します。

個人的にわかりやすいので、研究者を例にします(このブログの趣旨とも合うし。)

研究者は日々いろいろなデータを生産しています。しかし、研究者はそれを成果にするまで共有しません。また、成果として論文を出しても、他人が真似できないように肝心なところは隠します。これは、企業でも同じです。生産設備を他の会社の人に見せることはしません。これは、私有財産制が許されるからこそ許されます。また、私有財産制によって、ある主体の生産の”効率性”が図られます。研究者であれば、論文数や論文媒体、会社であれば利益がその指標になります。この”効率性”が高い方が評判になります。

評判のある主体には、より多くの資源が渡されます。それは、金銭、社会的地位=権力であります。このように「権力者」が形成されます。

(評判システムの形成自体は、マスコミュニケーション論に譲ります。)

この効率性にはいくつかのものが混在しています。未知に対する将来予測精度、現在知識の活用、人的リソースの運用などなどです。そのため、多くの判断が「権力者」にゆだねられます。専門家も一種の権力者です。そして、権力者の判断の下、他の人々が動くことになります。

つまり、会社でも社会でも私たちは、私有財産制が立脚されているからこそ、”評判競争”をしているわけです。この評判が、原理的には金銭にも結び付きます。

いっぽうで、知識や事実は一人によって形成されるわけではなく、また有益な知識や事実は広く共有したほうが効率的です。

(この共有は会社での情報伝達が重要という意味ではないです。会社での情報共有は、同一方向に進むために必要であり、これは数の力を利用する点で重要です。ここでは、知識が共有されたとしても、それが多様に解釈され、多様に発展しうる点で重要ということです。これは、共通基盤の誕生とその消滅につながります。共通基盤は模倣による知識伝播によって形成され、その基盤に限界が来ると自然と消滅します。)

また、「集合知」の活用を考えると情報にたいしてどこまで私有財産制として認定するのかというのは、社会的問題のみならず、私たちの現実認識の構成や経済ともつながってきます。いっぽうで、”商品”として提供するものとして共有化を図っているという側面もあります。

さらに、評判競争のための金銭と日々を生きていくための金銭は実は別です。同一化したからこそ、やり取りが効率的になった反面、社会的な死が評判によってもたらされてしまいます。このあたりが、宮台真司が言説する”グローバル化による社会の空洞化”につながっていると思われます。