私ごと

自分の観点を言語化しておくブログ

自分の目標連鎖

最近の大学の授業で人生論をやたら求められていたのだが、そのお陰でなんとなく整理できたので、

 

最大多数の最大幸福みたいなことを追っていました。

人の幸せとは何か。それは、以下の動画がかなり代弁してくれているなーと思っており、何のために生きているかわかって生きることができていることだと思っています。

 

 

これを達成するには、目標を達成することだと思っています。目標は常に変わっていき、統合していくこととそれを達成していくことを通じて、何のために生きているかわかってくると思っています。

さて、世の中の発展は、これを取り除いてきたと考えています。つまり、農業生産力の向上は、生存確保の必要性を低減し、工業生産力の向上は、様々な生活の質をあげました。その結果、より個々人の目標を達成していく方が効率的であるような社会になってきたと思っています。(もちろん、負の側面もあり、そこまで高めないと価値が出ないと言う側面があり、それはある種ひどく残酷なことでもあるのかもしれませんが。)

現在において、上記のような環境に対して、特に日本では労働市場の問題が特に顕著ですが、これは法制度の問題で個人で解消するのは極めて困難だと感じております。そのため、自分のアプローチは今の所、エキスパート支援の検索です。需要がある程度あろうと言うことと、熟練者の権力の分散によって、自由度が上げうることを目的としています。(真に解決策なのかは、何ともと言うところですが。。。)

しかしながら、上記は資本主義市場と民主主義を前提にした社会なので、最近の中国のようにIT全体主義と言うものに対してどう考えるのかと言うことがあります。

これは、銀河英雄伝説のヤンの言葉が信念であると思っています。

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ヤン:人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。言い換えますと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムや、またそれより遙かに小物ながら、ヨブ・トリューニヒトなどを政権に就けたのは、確かに人民自身です、他人を責めようがありません。まさに肝心なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の失敗を他人のせいにできる、という点に尽きるのです。その罪の大きさに比べれば、百人の名君の善政の功も小さなものです。まして閣下、あなたのように聡明な君主の出現が極めて稀なものであることを思えば、功罪は明らかなように思えるのですが

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https://note.com/cexistentialism/n/n6a4f4f0bf938

 

最後に、最近の自分の不満はおそらく、上記から導出される「多くの人の目標を達成できる状態」にアプローチできている気がしていないことがあるのかもしれません。あるいは、社内検索がだいたいペイしないと言う現状か。組織論だけでは太刀打ちできず、経営力であると思った先から、何を考えるのか。