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マインドと社会

マインドと社会のインタラクションについて、科学技術や経済の変化を統合させながら考察します。

労働と経済への考察

経済

以下、3つの記事に触発されたので、考察を加えたいと思います。この論考の中心にあるテーマは、私たちはどのようにすれば、動員されずに、内発性を起点にして生きていくことが可能かということです。

なぜ資本主義は無意味な職を創出するのか - himaginaryの日記

www.newsweekjapan.jp

 

インセンティブ・システムと弱者支援の違い - Chikirinの日記

まず、経済成長とは何かを考えます。経済成長はお金を取引した量で決まります。マクロ経済学の教科書にもありますが、GDPは、貨幣供給量×貨幣流通速度です。つまり、やり取りする速度あがれば、GDPはあがります。これは当然のことで、やりとりする速度があがれば、売り上げがあがり、その分収入が増えます。

一方で、国庫を考えます。国庫の収入の大部分は税金です。税金は固定資産かフローにかかります。所得税も消費税もフローにかかるものです。よって、貨幣流通速度が増せば、税金もふつうは増えるはずです。

さらに、賃金を考えると、経済成長していれば、利益が増えます。利益が従業員に還元されれば、賃金は増えます。賃金が増えると消費意欲が高まるので需要が増え、より経済成長します。

以上が、マクロ経済的な視点です。

 一方で、我々の生活において、非経済的領域が存在します。たとえば、ベビーシッターを考えます。ベビーシッターを職業としてみれば、これは貨幣のやりとりを通じて、サービスを交換する行いになり、経済活動になります。これを、近所の○○さんに面倒を見てもらい、お礼に菓子折りを持っていく、あるいは今度は○○さんが困ったときに自分が助けるという活動をすれば、非経済活動になります。

経済活動=交換活動ですが、その他にも贈与や互酬があるということです。

 これは、なぜ、仕事が減らないのかの答えでもあります。我々は、すべてのワークプロセスの一部を切り出して、自動化することで、生産効率を上げました。また、自動化する機械自体の効率が高まっています。合理的に考えれば、自動化する費用よりも自動化しない費用が高ければ、導入されないので、機械はほぼ確実に、自動化する費用のほうが安い時に導入されます。これを考えると、自動化によって、生産性が増しているので、仕事量は減るはずです。また、総需要も伸びていないのならば、なおさらです。

しかし、私たちは、生産性の向上とともに、頻繁な移動を経験することとなりました。そのため、コミュニティー的な基盤が必要な、贈与や互酬が難しくなったと考えられます。多くの人は、最近引っ越してきたxxさんにすぐに子供を預けるのは心理的抵抗が大きいと思います。つまりは、よくわからない相手を容易に信頼できないということです。個人レベルで差があるとは思いますが、信頼するスタンスにおいても、とても大事なことは、任せにくいと思います。

よって、多くの事象が仕事化していきます。要は、移動が激しくなって、近所の人との信頼が構築しにくくなったため、コミュニティー崩壊していることが、仕事を生み出す要因になっています。

 仕事がなくならない要因はもう一つあります。それは、消費をアジテートするために、たとえ非効率であっても、人が投入されているということではないでしょうか。上記のブログないにも記載さえていますが、金融や保険系は「売らなくてもいいのではないか。」、「お客さんのメリットになっていないのではないか」と営業担当が思うような商品が売られています。この購買意欲を増進させるために、セミナーの設定など必要になります。これは、インセンティブを発生させることにお金がつかわれているということです。

これも、時間を消費する手段として、私たちが直面していることです。

最後に、完成品が分かりにくい成果物が増えたことがあります。広告やITはわかりにくいものですが、車もデザインに寄り、成果物に対するコミュニケーションが難しくなっているため、調整が増え、労働時間が増えたことまります。また、そのために不確実性が増え、意思決定の指標が分かりにくくなったこともあります。

3つあげましたが、内2つは、私たちの活動が、より貨幣化していることを示しています。貨幣の機能は重要なので、それ自体否定されるものではありません。しかし、私たちが貨幣によって、よりコントロールされやすくなっているという問題をはらみます。これの何がよくないのでしょうか。

 まず、人が価値を容易に感じやすものに偏ってしまうのではないかということです。これは、貨幣化されることよりも、民間でのやり取りが強くなるとこのような側面が現れます。よって、共同体の役割が重要になります。それを体現しているのが、政府です。

  むしろ貨幣化に伴って、行われにくくなるのは、政府の基盤としての、価値統合つまりコミュニティー性の育成です。それは、先に述べた贈与や互酬をし合う関係が築かれにくい、または交換のほうがベースとなるということです。前者は、移動による定住のしにくさからでます。後者は、たとえば会社がコミュニティーになるということです。これは、会社での関係が基盤にきます。さらに、この2つは近所に住んでいないことから、個々人のセキュリティーが弱くなるという側面があります。これは、一人暮らしで風邪を引いた時のつらさが最もわかりやすい例ではないでしょうか。

 また、付随して銀行を筆頭とした、資本家の権力が増すということがあります。お金がなければ、生活できないような状況では、よりお金によって人が動かされます。また、問題は会社の株をだれが持っているかです。社員が頑張って企業価値を上げても、賃金ではなく株に反映されるため、株主が利益を得ることになります。さらに最近ではROE経営などともいわれているので、なおさらでしょう。(逆に、自社の株を社員に保険として買ってもらう企業もあるようです)また、会社は株主のものという法律上の観念がより強く浸透するようになりました。これは、資本家が儲かる仕組みになるということです。アメリカの現状を考えると、間違った話ではないでしょう。

 ここまでをまとめると、移動性が高まり、私たちの生活が貨幣化していくことによって、私たちは労働を通じた、賃金を得る必要性が高くなります。また、フローを生まなければ賃金を得ることができないという自己言及性と、資本家の利益のために、消費をアジテートする必要性が双方に生じ、仕事が減らないという状況になります。もちろん、消費者側のより多くの消費をしたいという心理も作用として働いています。これが、仕事がなくならない諸要因でしょう。

 ここで、AIが絡むことによる、貧富の格差とコミュニティーが崩壊していることによる、その悲惨さを考えます。AIがなぜ貧富の格差を生むのか。ちきりんさんが上記とはことなる記事で、正社員の労働時間は変わっていないが、派遣社員の労働時間は減っていると、言及しています。また、資本装備率が、所得に影響します。。

資本装備率とは、一人当たりどれだけ資本が不随しているかです。以下によると、所得は生産性と正の相関があり、生産性は資本装備率による上昇が最も寄与しています。

http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/rashinban/pdf/et09_157.pdf

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je10/pdf/10p03012_1.pdf

これは、つまり資本をより多く装備できる恵まれた環境の人々は賃金が高く、そうでなければ、賃金が低くなる可能性が大ということです。なぜならば、まずそのような環境の会社は、収益が高く、株主利益に資します。また、収益が高くなれば、賃金も上がることが期待できます。(後者は、労働者があふれることによって、賃金が上がらないというケースも考えられます。)

 AIは、今以上に資本装備率での差が顕著になることが予想されます。AIを導入した企業とそうでない企業では生産性が異なるということです。

そうなれば、AIは格差を大きく広めるということになります。すると、社会が貨幣化していればいるほど、より大きなディストピアを生む可能性が増えます。だからこそ、ベーシックインカム(BI)の議論が浮上します。

 このあたりの議論は以下の資料がとても詳しいです。

http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2016fy/000853.pdf

 しかしながら、機械化は動員させる人を少なくします。歴史的にみても、昔は人口のほとんどが農業に動員され、そのつぎは工業でしたが、今はほとんどサービス業になっています。よって、より内発性をもって動員されずに生きるという道に対しては、可能性が高まります。しかし、基本的な生活をするために、ものを買う(=その裏で、ものをつくって流通させる人を動員する)だけの貨幣は必要になります。これで、BIがないと、動員を回避できないのです。さらに、コミュニティー崩壊がディストピアというのは、例えば田舎のご老人達や主婦は、近所の方々と1日話して終わるということもままあるのではないでしょうか。このネットワークがないと、動員されず内発性をもって行動ができない人々は、消費に向かうしかなく、お金がより必要になってしまうという単純なことが、より貨幣による動員を強めてしまいますし。お金が必要とみんながおもうから、コミュニティーでの融通ではなく、ベビーシッターになるのです。

 さて、最後にちきりんさんの記事へ移ります。内発性を養うのに、教育は非常に重要です。しかし、そこまで行く前に、強制、インセンティブによる自発性は必要です。そのため、ポイントは「内発性はいかに早くはぐくむことができるのか」と「自発性までの動員をいかに減らせるのか」という点につきると思います。ちきりんさんの記事は、変な配慮によって、インセンティブを曲げるのではなく、インセンティブによって素早く能力を身に着ける仕組みとしては、より優れていると思います。(ただ、子供が親のお金獲得手段にならないか、そのためにあれやれこれやれにならないか心配ですが、メニューがそろっていれば、大丈夫でしょう。)これに、飛び級が必要だと思います。大学レベルの内発性を持っている場合に、高校でとどまっていると、やりたくもないのに、他教科の資格を取るほうが金銭的に有利ということになりかねないですし。

 さらに身についた能力が、内発性を育む側面があると思いますので、おおむねこれでよいと思われます。

 最後に、コミュニティーベースかつ、内発性重視が、上記の基礎となる、科学技術の研究の効率的やその社会実装たるイノベーション促進にも有効なのではないかという点について考えます。

 まず、研究の大本は内発性によるものです。そのため、内発性重視は重要です。次に、コミュニティーベースである→貨幣動員がすくない→儲かる必要性も薄いという社会において、知財の扱いを緩くすれば、技術の伝搬がより早く広まります。オープンソースはいい例だと思います。さらに、技術の多くがますますソフトウェア化しているならなおさらです。そして、動員が小さいということは、少ないメンバーでもできるという状態を指しており、無駄にマネージャーを配備する必要も薄くなります。知財が弱くなるにつれて、より争う余地も減ります。差別化要因が小さいということは、近接性による融通のメリットのほうが大きくなるため、産業が地方に広まりやすくなるでしょう。このように、社会が分散化していきやすくなります。失業リスクも低くなるので、人材の流動性も担保しやすく、情報交換も容易です。

 

限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

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  ここで残るのは、コミュニティーの在り方です。地域コミュニティーが、失業リスクをサポートしてくれるのかといえば、そんなことはないと思われます。ただ、育児面などは融通し合えそうです。仕事は、小さい会社であれば、機動的に雇用を回せるでしょう。このような、コミュニティーが複合化しており、アクセス可能であれば、過去の停滞しがちなコミュニティーでとどまることもないのではないでしょうか。

 このような社会への変革をどのようにすればよいかはまだ定かではないですが、論考としてはここまで。