私ごと

自分の観点を言語化しておくブログ

エマニュエル・トッドの「世界の多様性」を読んで

以下の本を読みました。

簡単に本書を紹介すると、ソ連崩壊やEU崩壊など、数々の政治経済的現象について予言を的中させてきたエマニュエル・トッド氏が、1983年に出版した「第3惑星」と1984年に出版した「世界の幼少期」という2部作をまとめて1999年に出版したものを日本語訳したものです。エマニュエルトッド氏は歴史人口学者なので、政治経済現象の予言は副業で、本来的にはこの本のような家族構造や人口統計指標から、政治イデオロギーや経済発展について説明を行っていくことが本業です。

 

世界の多様性 家族構造と近代性

世界の多様性 家族構造と近代性

 

 

 「第3惑星」は、家族構造とイデオロギー構造の広がりについて類似をがあることをしてきしたものであり、「世界の幼少期」は近代への発展がどのような家族構造によって変化があるかということになります。

 この本をまとめて言ってしまえば、ある文化圏が近代に移行する時、識字率の上昇、出生率・死亡率の低下がみられる。これが、文化圏に差異を持っているのは、家族構造がことなっているからであり、またこの家族構造の違いが、表出するイデオロギーと関係している。ということです。

 識字率出生率、死亡率における近代への移行の速さは、女性の地位(財産相続権の度合いや権威としての機能。日本であれば、母親が教育を行うこと、妻への相続がみとめられていること)に依存しているということです。

 つまり、

1、子どもをちゃんと教育して識字率が上がる

2-1、男性の場合は、万人の道徳的理解につながり、民主主義へ

2-2、女性の場合は、「正しい子供計画、子育て、衛生」による出生率や死亡率の低下

となるということです。

また、ドイツや日本が製造業的に強いのは、3世帯で住み、長男の相続という基本形態を持っているため、縦に続く行動規範の継承能力があるということです。そのため、労働における規律が守られやすく、生産性が高くなるとのことです。また、規範継承能力ゆえに、つよい官僚制も特徴とのことです。(ちなみに、これらの形態は社会民主主義イデオロギーになるようです)

 この書でもっとも疑問であったのは、「世界の幼少期」のまとめの部分で「国家は進歩の重要な要因として現れることは決してない」ということです。その根拠は、「国家によって決められる経済的な計画は、それが中期もしくは「長期」の産業計画であるかによって5年あるいは10年、最大限でも15年の期間を想定するにすぎない。・・・中略・・・成長の条件であり、教育のメカニズムの要素である識字化を説明するためには、世代から世代へと受け継がれてきたゆっくりとした、しかし不可逆な活性力を一般的な理論モデルに組みいれなければならない」ということです。定説から言えば、大規模土木工事にかかる集約を行うに際して、国家と言わずとも、ある程度大きな共同体が集権的に土木工事を行う必要があるのではないかと思います。しかし、それ自体が継続的に可能なメカニズム自体はイデオロギーであり、それは規範や資産分配の在り方であり、家族構造に依拠するということでしょう。

 今、日本において、私が問題と思うのは、IT産業です。ここ以外で、技術的高度さが日本において負けている分野はあまりないのではないでしょうか。

 IT産業はまさに、規範意識によって負けていると思われます。ITの良さは自由度を高めてくれることにあるからです。(別の問題は、実は言語にありますが)また、この規範意識アジャイル開発には向かないでしょう。

 工業化時代に成功した規範意識を、再生産しながら引きずってしまうのも、日本のイデオロギーなのかもしれません。

 

 

昨年の振り返りと今後の目標

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

年も明けたので、昨年の振り返りをしたいと思います。また、今後の見通しについて書いていきたいと思います。

<昨年の振り返り>

昨年は、大きなシンポジウムを担当したり、転職があったりで、自分にとっては大きく変化した一年でした。これらを通じて感じたこと、わかったことをまとめておきたいと思います。

1. シンポジウムを通じて見えたもの

 これを通じて、省庁の連携、大臣の扱いみたいなものが見えてきました。まぁ、大企業で社長を扱うようなものでしょうか。指揮・命令系統のトップにはおもねりますよね。変なことすると、評価が下がってしまいますし。

 ただ、利害対立がない範囲では、下々の者は連携するのだなーと思いました。交通整理を行えば、それぞれのことはそれぞれ行うのだなーと。この交通整理が厄介でしたが(笑)

 また、各業者のコントロールもこちらで行ったので、アマチュアが調整を行うも同然となった中で、それなりにはできたのかなーと思いました。

 このシンポジウムに合わせて、色々な無茶振りがいっぱいありましたが、この辺り、いかにプレゼンスを示して、リードを取っていくかという競争があったのは、役所らしい行動であったと思いました。また、このシンポジウムは、1年3回で持ち回りでやるはずだったのですが、続編が出てこないので、変わったのでしょう。この辺りの、コミットメントの弱さも、役所らしいと思います。

 その他に、役所的な組織の弊害として、役所の縦割りの影響を受けて、予算を使い切らないといけない(比較的マシでしたが)や、予算の流用の手間がものすごく行いづらいということがありました。税金という面でみれば、あれだけ大きな組織を監査するとともに、予算査定をしているという構造上の問題から、こうなってしまうのは仕方がないのですが、オペレーションの面では、国が非効率になりがちという面は否めないと思いました。

 国がやることは、やはり経済学でも言われているように、資本集約性が高くて民間のみでできないこと、公共財的性格が強くて民間のみではできないことに特化したほうが良いと思いました。これらは、情勢が変わらないことも多く、国のスピード感でも十分でしょう。一方、アメリカのように、国ではないところに資本を集約させ、ベンチャーにかけるということも、資本集約性はクリアします。国にするのと民間の独占主体を作るのは、使用用途の不透明性を事前にどれだけ認めるか以外に違いはないのです。(民間の独占主体はほとんど独裁政権と同じですが)

2. 若手研究発表を通じて見えたもの

 これは、上記の枠組みも含まれるのですが、組織の理念類型が見えました。人の行動は、組織枠組みに縛られますが、組織枠組みは、組織が置かれた環境に依存します。この環境因子は、信頼と規模です。一つの指標にすると、これら二つとも、「損失時の被害」です。大企業がニッチ産業に入れないこと、医者が白い巨塔になること、国が柔軟に動けないことはこれらに起因します。医者と国は、信頼が極めて重要になります。大企業は、規模が大きくなります。そのため、誤ることが難しいのです。

 ベンチャー企業はこれらが二つともないので、新しいことを行いやすいのです。ただ、信頼がないので、ビジネスが難しいのですが。

3. 転職して、民間に移ったことで見えたもの

 自然言語処理ベンチャーに移りました。民間に移ると、ビジネスとして、今何とかすることと、理想形として仕上げていくことのギャップが常に付きまとうことが痛切に感じられました。

 まず、ビジネス・経営という面について、今、どこに集中投資をするのかということが、企業にとって決定的であることがより通説に感じました。いつ、どのタイミングで、どこにどれだけ投資するのかの一挙手一投足が、生死に関わります。

 次に、ビジネスでは、出来上がっているものを求めるのだなーと思いました。情報技術系は、特に使わないとわからないのですが、そこの溝はあると思いました。だからこそ、ベータ版やファーストユーザー割引などがあるのでしょうが、ベンチャーでは、それができません。

 そして、製品には、やりたいことに対する「精度」が求められると思いました。精度と言っても、やりたいこと自体が何ができるかに依存しているので、そこから定義していかないといけない面は多分にあります。

 加えて、機械学習が意外と教師データない問題があると思いました。データを作るように、運用しながら導入すればいいのですが、それではスピード感が失われ、ニーズにも対応できないと思いました。教師データを信頼性高くつくることは難しいのだと知りました。教師データだけでなく、分類をどのようにしたいのかということを、どのように支援するかという問題もあります。情報の信頼度をどのように担保するのかということは、調査したほうがいいと思いました。ページランクとか勉強しよう。

 価格の面も勉強になりました。原価+2割のような積み上げパターンとバリューのパターンがあることを知りました。また、見積もりにおいてもやりたいことベースに積み上げるパターンと予算の中で、どこまでできるかといったパターンがあると思いました。

 ベンチャー特有かもしれませんが、お客さんのご要望と製品の開発が追いついていない状況で、どこまでバッファーを埋めるかということも、なかなかエキサイティングです。これは今後も続きそうです。 

<今後の目標>

この会社は、多分自然言語処理により特化できるようにしたほうがいいと思っています。そこで、目標は以下にしようと思っています。

1、自然言語処理機械学習の知識をより付ける

2、DB系の知識が足りないので補填する

3、製品のサポートできる範囲を広げる

4、システム導入の見積もりをできるようにする

5、切り分けの勘所をつかむ

6、引き続き、イノベーションと経済と組織論については考えていく。

この1年、ビジネスを軌道に乗せられるように頑張ります!!

IoTには3つある

あまり言われていることではありませんが、IoTには3つあります。

  1. Industry 4.0系IoT
  2. 3Dプリンター系IoT
  3. Web系IoT

1.は、工場の中の物がデータとして全部吸い上げられるということである。そのため、リアルタイムな生産管理ができるということです。これは、今まで各社が独自規格として提供していたデータなり、プラグがインターネットの規格と同一になって、つなぎ換え等もしやすくなってきたということに起因します。これとともに、人工知能の発達が機械の自立性を増大させるのではないかという期待がこれにプラスされています。

2.はCADが整備されてきたことに加えて、それなりに安い3Dプリンターが提供されていることで、CADをプリントするだけで、必要なものが充足されるのではないかということから、来ています。メイカー的な動きに近いと思われます。

3.は、RFIDタグとWeb系サービスの組み合わせで、今まで情報を取得できなかった対象にセンサーをつけることで、楽に管理できるというものです。これは、1と似ていますが、スマホや家電との連動がケースとしては多く、サービスであることが特徴です。

ニュースでは、これら全てIoTというので、よくわからなくなっています。実際被る領域もありますが、経済が異なっているので、これらの発想も異なっていると感じています。

プレイヤーも異なっているので、注意が必要だと思われます。

 

 

 

包摂に労働は必要だろうか

昨今、人工知能ブームに沸いている世の中ですが、仕事がなくなるとも揶揄されています。

しかし、以前本ブログでも書きましたが、仕事の総量が減るかどうかは、私たち次第という面があります。

私たちがより消費を望めば、仕事は減りません。消費ということは、商品・サービスで人間関係を結ぶことを意味しています。

これは、

  1. 変なことをしたら、会社に損害賠償請求できる安心感
  2. 客として要求できる、優位性

が含まれています。話題になっている、労働の問題の一つは、2に起因しており、日本人の客としての態度とその悪客に対応してしまこととも言われておりいます。(もう一つは労働規制)これは、命令服従の関係に陥ってしまうからです。

以前ご紹介した、以下の本ではマインドと社会の関係について書かれています。

 

Reinventing Organizations: A Guide to Creating Organizations Inspired by the Next Stage of Human Consciousness

Reinventing Organizations: A Guide to Creating Organizations Inspired by the Next Stage of Human Consciousness

 

 これは以下の通りです。

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http://agilitrix.com/2015/02/culture-change-reinventing-organizations/より

 

命令・服従関係が左の赤いところです。市場の企業群はオレンジのものです。

オレンジのゾーンが命令服従関係よりましであるのは、費用対効果という面で、不当な要求を退けることができるからです。

しかし、オレンジのゾーンは利害のみの社会ですので、利害が一致しないと協力し合えないですし、利は状況によって刻々と変化するため、協力体制としては問題があります。

 さて、前置きが長くなりましたが、これは個人のマインドの持ち方が社会に影響しますし、社会のありかたが個人のマインドに影響を与えることを示唆しています。もちろん、マインドだけではありませんが、それは、全体として命令・服従関係に入る必要性がある場合です。それは、主に資源制約の問題ということです。労働の観念はここに起源があります。昔の農民を考えれば、自由が少なく、しかしそれは社会全体で食べていくのに必要であったこと、また状況を改善する土木工事に必要で、その余剰を稼ぐためにも、集約化する必要があったことがわかります。

 しかし、現代において、資源制約は大いに解消されつつあります。その際、どういうマインドで社会関係を結ぶかが重要になります。包摂に労働が必要かという点は、地域社会に対しての論点です。

 情報技術リテラシーオープンソースの安定性があがり、生産性があがることで、より少ない人数でいろいろなことができるようになります。

 これは、2つのパターンを生み出します。

  1. 市場で提供されるものに対する観点が固定的であれば、労働は減る。ベーシックインカム等の再配分政策があり、プライベート関係で搾取されなければ、おおむね個人は自由になる。
  2. 市場で提供されるものに対して、多様な観点があれば、労働は増える。マーケットも広がる。この場合、市場活動に対して個人の自由度が増す

1は顔の見える範囲でのコミュニティーで完結するほどの生産性向上が見込まれます。この場合に、包摂には労働が必要か。つまり、コミュニティーに参加するには、効率が悪くても、何かしらの貢献が必要かという論点が出てきます。

今日はここまで。

<備忘録>

1なのか2なのか。その他の論点はないかの考察が必要。

 

 

 

何に興味を持っているのか

本質的には、人の思想とそれにかかわる社会動態に興味をもっていそう。それをできる限り数理的に表現したいもの。

そうすれば、シミュレーションで、僕らはどういう構造にいるのが、どの段階ではベストなのかが分かる。

実践としては、もうわかっていることかもしれないけれど、数理で表現すれば、より明確になる。

存在する意味を、すべての人に。

マイケルムーア:世界侵略のススメをみて

 

アメリカと欧州諸国を比較したドキュメント映画です。ネタバレをふんだんに含むので、以下ご注意ください。

 

全体として、信頼の厚い社会のほうが高効率だということを改めておもいました。この効率を達成するためには、広い共感の感情と経済を社会に埋めなおすことが必要だと感じます。個別の事例からみていきます。

1、イタリア:休暇がとても多いことと昼休みが2時間あることを対比としてあげています。(アメリカは法定の有給は0らしいです。)長期休暇もあるあたり、日本よりもイタリアはより長いですね。マイケルムーアは、経営者に「もっと設けられるぞ」とけしかけるのですが、「そんなことより従業員と心を通わすことのほうが大事」といった返しでした。日本も、能力的関係、経済的関係、社会的関係をもう少しきちんと分けて考えたほうがいいでしょう。

2、フランス:給食が素晴らしいことを取り上げています。とりあえず、アメリカがひどい気がします。それよりも、ここの場面で出てくる、民間企業に任せたほうが高くなるという描写はもう少し数字だしてほしかったけど、そうだろうなと思います。保険や教育は無駄に過当競争になるだけでしょうし。財政的に裕福ではなくても、このような給食を配備できるのは、腕のいい料理人の額がそこまで、高いわけではないからではないでしょうか。

3、フィンランド:有名なフィンランド式教育についてでした。これは、同調圧力が強い割にはコミュニティーが崩壊しかかている(と思われる)日本では機能しないかもしれないですが、今の大量生産・大量消費での生産効率を上げるための教育はやめたほうがいいですね。また、詩や芸術は稼げないから意味ないというムーアのアメリカ人感覚をぶつけるところで、教師がすごく悲しそうな顔をしています。稼ぐことがすべてな社会は、詩や芸術は無意味でしょうが、感受性からみれば、別にそうでもないでしょう。

4、ノルウェー:犯罪者への手厚いケア、死刑の廃止が取り上げられています。人は、扱われ方によって、行動を変えるといういい例だと思います。責任はその人にもあるけど、社会にもあるというところでしょうか。大量殺人犯に息子を殺された親が、「復讐をしたいとは思わない」と言い、さらに「ノルウェーを守ろう」というのは、責任を個人に帰することで、社会を分裂させてしまうことを防ごうということでしょう。最近の日本は自己責任社会になってしまったので、真逆の方向ですね。生活保護受給への反対が非常に多いこともその表れでしょう。


5、スロベニア:大学の教育費がタダというのが取り上げられていました。教育費が安いことは、社会を緩やかに変えるために必須だとおもいました。(借金すると、格差+上の世代のコントロールが効きやすくなるため)いうまでもなく、高等教育を多くの人が受けられることは、分業の意味でも、リテラシーの意味でも重要です。リテラシーが高ければ、高度な分業が可能なのです。日本では、大学では勉強しないというイメージがありますが、これは、大学で教えていること自体がニーズに合っていないとか、大学に入る前に、個人の興味が引き伸ばされていないとかいうことに起因しているでしょう。


6、ドイツ:中産階級が安定して存在していることと、アウシュビッツの反省としての国民意識と罪の意識が取り上げられていました。経済面でいうと、製造業を捨てたアメリカから中産階級がなくなったのは、当然でしょうし、会社が株主のものになると、なおさらです。また、同じ敗戦国としては、日本もどいういう戦後の区切りをするのかを見つめたほうがいいとは思いました。

 

6、ポルトガル:麻薬犯罪の低下、死刑の廃止あたりが述べられています。おおむねノルウェーの話と同じだと思います。死刑については、日本人としては、武士道の伝統があるので、必ずしも尊厳を傷つけているとは思いませんが、武士道自体も見直しが必要でしょう。

 

7、チュニジアイスラム社会にもかかわらず、女性に手厚い社会を取り上げています。やはり、社会の発展度は、個人に許容される自由の程度によるということを改めてかんじました。

 

8、アイスランド:女性の活躍が取り上げられています。アイスランドが破たんしたとき、黒字を保っていた銀行は女性がCEOの銀行だけだったそうで、そこでは、わからないものは買わないというポリシーだったそうです。最後の女性が述べるアメリカ人へのメッセージである「アメリカ人は家族以外大事にしない。同胞を大事にしていない」が心にしみました。

 

これからの社会、より自動化して、生産活動にかかわる必要性が低下することを考えると、以下が大事だと思います。このほうが、より生産的かつ幸せな社会が営めるのではないでしょうか。

・多様性を重要視する。

・共感する。

・コミュニティーを形成する。

・教育、医療、保険のユニバーサルアクセス

もちろんこの前提には、インセンティブを考慮した制度設計があります。

日本がこの道をたどるには、

・戦前からの私たちの価値観を再度見直し、社会を結びなおす。

人工知能やロボットによる自動化をより推進する。

教育、医療、保険のユニバーサルアクセスを達成する。

・人間的特性を踏まえた、制度設計、組織設計、倫理観の醸成を行う。

といったところになるのではないでしょうか。

余談

僕は、以下に分散投資してますが、絞るなりなんなりしたい。

・日本的価値観の再構成

・情報技術の利用(人工知能

・限定合理性から来る、組織形態の制約

労働と経済への考察

以下、3つの記事に触発されたので、考察を加えたいと思います。この論考の中心にあるテーマは、私たちはどのようにすれば、動員されずに、内発性を起点にして生きていくことが可能かということです。

なぜ資本主義は無意味な職を創出するのか - himaginaryの日記

www.newsweekjapan.jp

 

インセンティブ・システムと弱者支援の違い - Chikirinの日記

まず、経済成長とは何かを考えます。経済成長はお金を取引した量で決まります。マクロ経済学の教科書にもありますが、GDPは、貨幣供給量×貨幣流通速度です。つまり、やり取りする速度あがれば、GDPはあがります。これは当然のことで、やりとりする速度があがれば、売り上げがあがり、その分収入が増えます。

一方で、国庫を考えます。国庫の収入の大部分は税金です。税金は固定資産かフローにかかります。所得税も消費税もフローにかかるものです。よって、貨幣流通速度が増せば、税金もふつうは増えるはずです。

さらに、賃金を考えると、経済成長していれば、利益が増えます。利益が従業員に還元されれば、賃金は増えます。賃金が増えると消費意欲が高まるので需要が増え、より経済成長します。

以上が、マクロ経済的な視点です。

 一方で、我々の生活において、非経済的領域が存在します。たとえば、ベビーシッターを考えます。ベビーシッターを職業としてみれば、これは貨幣のやりとりを通じて、サービスを交換する行いになり、経済活動になります。これを、近所の○○さんに面倒を見てもらい、お礼に菓子折りを持っていく、あるいは今度は○○さんが困ったときに自分が助けるという活動をすれば、非経済活動になります。

経済活動=交換活動ですが、その他にも贈与や互酬があるということです。

 これは、なぜ、仕事が減らないのかの答えでもあります。我々は、すべてのワークプロセスの一部を切り出して、自動化することで、生産効率を上げました。また、自動化する機械自体の効率が高まっています。合理的に考えれば、自動化する費用よりも自動化しない費用が高ければ、導入されないので、機械はほぼ確実に、自動化する費用のほうが安い時に導入されます。これを考えると、自動化によって、生産性が増しているので、仕事量は減るはずです。また、総需要も伸びていないのならば、なおさらです。

しかし、私たちは、生産性の向上とともに、頻繁な移動を経験することとなりました。そのため、コミュニティー的な基盤が必要な、贈与や互酬が難しくなったと考えられます。多くの人は、最近引っ越してきたxxさんにすぐに子供を預けるのは心理的抵抗が大きいと思います。つまりは、よくわからない相手を容易に信頼できないということです。個人レベルで差があるとは思いますが、信頼するスタンスにおいても、とても大事なことは、任せにくいと思います。

よって、多くの事象が仕事化していきます。要は、移動が激しくなって、近所の人との信頼が構築しにくくなったため、コミュニティー崩壊していることが、仕事を生み出す要因になっています。

 仕事がなくならない要因はもう一つあります。それは、消費をアジテートするために、たとえ非効率であっても、人が投入されているということではないでしょうか。上記のブログないにも記載さえていますが、金融や保険系は「売らなくてもいいのではないか。」、「お客さんのメリットになっていないのではないか」と営業担当が思うような商品が売られています。この購買意欲を増進させるために、セミナーの設定など必要になります。これは、インセンティブを発生させることにお金がつかわれているということです。

これも、時間を消費する手段として、私たちが直面していることです。

最後に、完成品が分かりにくい成果物が増えたことがあります。広告やITはわかりにくいものですが、車もデザインに寄り、成果物に対するコミュニケーションが難しくなっているため、調整が増え、労働時間が増えたことまります。また、そのために不確実性が増え、意思決定の指標が分かりにくくなったこともあります。

3つあげましたが、内2つは、私たちの活動が、より貨幣化していることを示しています。貨幣の機能は重要なので、それ自体否定されるものではありません。しかし、私たちが貨幣によって、よりコントロールされやすくなっているという問題をはらみます。これの何がよくないのでしょうか。

 まず、人が価値を容易に感じやすものに偏ってしまうのではないかということです。これは、貨幣化されることよりも、民間でのやり取りが強くなるとこのような側面が現れます。よって、共同体の役割が重要になります。それを体現しているのが、政府です。

  むしろ貨幣化に伴って、行われにくくなるのは、政府の基盤としての、価値統合つまりコミュニティー性の育成です。それは、先に述べた贈与や互酬をし合う関係が築かれにくい、または交換のほうがベースとなるということです。前者は、移動による定住のしにくさからでます。後者は、たとえば会社がコミュニティーになるということです。これは、会社での関係が基盤にきます。さらに、この2つは近所に住んでいないことから、個々人のセキュリティーが弱くなるという側面があります。これは、一人暮らしで風邪を引いた時のつらさが最もわかりやすい例ではないでしょうか。

 また、付随して銀行を筆頭とした、資本家の権力が増すということがあります。お金がなければ、生活できないような状況では、よりお金によって人が動かされます。また、問題は会社の株をだれが持っているかです。社員が頑張って企業価値を上げても、賃金ではなく株に反映されるため、株主が利益を得ることになります。さらに最近ではROE経営などともいわれているので、なおさらでしょう。(逆に、自社の株を社員に保険として買ってもらう企業もあるようです)また、会社は株主のものという法律上の観念がより強く浸透するようになりました。これは、資本家が儲かる仕組みになるということです。アメリカの現状を考えると、間違った話ではないでしょう。

 ここまでをまとめると、移動性が高まり、私たちの生活が貨幣化していくことによって、私たちは労働を通じた、賃金を得る必要性が高くなります。また、フローを生まなければ賃金を得ることができないという自己言及性と、資本家の利益のために、消費をアジテートする必要性が双方に生じ、仕事が減らないという状況になります。もちろん、消費者側のより多くの消費をしたいという心理も作用として働いています。これが、仕事がなくならない諸要因でしょう。

 ここで、AIが絡むことによる、貧富の格差とコミュニティーが崩壊していることによる、その悲惨さを考えます。AIがなぜ貧富の格差を生むのか。ちきりんさんが上記とはことなる記事で、正社員の労働時間は変わっていないが、派遣社員の労働時間は減っていると、言及しています。また、資本装備率が、所得に影響します。。

資本装備率とは、一人当たりどれだけ資本が不随しているかです。以下によると、所得は生産性と正の相関があり、生産性は資本装備率による上昇が最も寄与しています。

http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/rashinban/pdf/et09_157.pdf

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je10/pdf/10p03012_1.pdf

これは、つまり資本をより多く装備できる恵まれた環境の人々は賃金が高く、そうでなければ、賃金が低くなる可能性が大ということです。なぜならば、まずそのような環境の会社は、収益が高く、株主利益に資します。また、収益が高くなれば、賃金も上がることが期待できます。(後者は、労働者があふれることによって、賃金が上がらないというケースも考えられます。)

 AIは、今以上に資本装備率での差が顕著になることが予想されます。AIを導入した企業とそうでない企業では生産性が異なるということです。

そうなれば、AIは格差を大きく広めるということになります。すると、社会が貨幣化していればいるほど、より大きなディストピアを生む可能性が増えます。だからこそ、ベーシックインカム(BI)の議論が浮上します。

 このあたりの議論は以下の資料がとても詳しいです。

http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2016fy/000853.pdf

 しかしながら、機械化は動員させる人を少なくします。歴史的にみても、昔は人口のほとんどが農業に動員され、そのつぎは工業でしたが、今はほとんどサービス業になっています。よって、より内発性をもって動員されずに生きるという道に対しては、可能性が高まります。しかし、基本的な生活をするために、ものを買う(=その裏で、ものをつくって流通させる人を動員する)だけの貨幣は必要になります。これで、BIがないと、動員を回避できないのです。さらに、コミュニティー崩壊がディストピアというのは、例えば田舎のご老人達や主婦は、近所の方々と1日話して終わるということもままあるのではないでしょうか。このネットワークがないと、動員されず内発性をもって行動ができない人々は、消費に向かうしかなく、お金がより必要になってしまうという単純なことが、より貨幣による動員を強めてしまいますし。お金が必要とみんながおもうから、コミュニティーでの融通ではなく、ベビーシッターになるのです。

 さて、最後にちきりんさんの記事へ移ります。内発性を養うのに、教育は非常に重要です。しかし、そこまで行く前に、強制、インセンティブによる自発性は必要です。そのため、ポイントは「内発性はいかに早くはぐくむことができるのか」と「自発性までの動員をいかに減らせるのか」という点につきると思います。ちきりんさんの記事は、変な配慮によって、インセンティブを曲げるのではなく、インセンティブによって素早く能力を身に着ける仕組みとしては、より優れていると思います。(ただ、子供が親のお金獲得手段にならないか、そのためにあれやれこれやれにならないか心配ですが、メニューがそろっていれば、大丈夫でしょう。)これに、飛び級が必要だと思います。大学レベルの内発性を持っている場合に、高校でとどまっていると、やりたくもないのに、他教科の資格を取るほうが金銭的に有利ということになりかねないですし。

 さらに身についた能力が、内発性を育む側面があると思いますので、おおむねこれでよいと思われます。

 最後に、コミュニティーベースかつ、内発性重視が、上記の基礎となる、科学技術の研究の効率的やその社会実装たるイノベーション促進にも有効なのではないかという点について考えます。

 まず、研究の大本は内発性によるものです。そのため、内発性重視は重要です。次に、コミュニティーベースである→貨幣動員がすくない→儲かる必要性も薄いという社会において、知財の扱いを緩くすれば、技術の伝搬がより早く広まります。オープンソースはいい例だと思います。さらに、技術の多くがますますソフトウェア化しているならなおさらです。そして、動員が小さいということは、少ないメンバーでもできるという状態を指しており、無駄にマネージャーを配備する必要も薄くなります。知財が弱くなるにつれて、より争う余地も減ります。差別化要因が小さいということは、近接性による融通のメリットのほうが大きくなるため、産業が地方に広まりやすくなるでしょう。このように、社会が分散化していきやすくなります。失業リスクも低くなるので、人材の流動性も担保しやすく、情報交換も容易です。

 

限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

 

  ここで残るのは、コミュニティーの在り方です。地域コミュニティーが、失業リスクをサポートしてくれるのかといえば、そんなことはないと思われます。ただ、育児面などは融通し合えそうです。仕事は、小さい会社であれば、機動的に雇用を回せるでしょう。このような、コミュニティーが複合化しており、アクセス可能であれば、過去の停滞しがちなコミュニティーでとどまることもないのではないでしょうか。

 このような社会への変革をどのようにすればよいかはまだ定かではないですが、論考としてはここまで。